Vol3.「生き方を通して磨かれる表現力」 担当:渥美 (2018年3月20日)

■ スピーチに顕れる生き方の癖

 

ある法人で、管理職クラスを対象にリーダーシップ開発の一環として、
3分間スピーチを行っています。

 

毎回、自分で新聞記事を選び、その記事を見て感じたことについて
参加者全員の前で3分間スピーチを行い、そのスピーチを聴いての感想について
お互いにフィードバックするというものです。

 

3分間スピーチを職場の取り組みとして朝礼などに行うことは多々ありますが、
リーダーシップ開発の一環として行うといったことはあまりないと思います。

 

この法人では、リーダーの育成に非常に熱心なのですが、
ある一室に以下のような言葉が掲げられています。

 

「堂々たる目的をもって事にあたり、それを完遂した暁には社会は評価するであろう。
ただし、それが目的ではなく自己の目的を果たす事が大切である」

 

まさにリーダーの存在意義について示した一文です。

 

リーダーとして生きるということは、
自分という人間を社会に表現していくいことに他なりません。

 

とりわけ管理職は、周囲の期待に応えるという役割を超えて、
自分がやると決めたミッションを果たしていくことに、リーダーとしての存在意義があると思います。

 

そのためには、自分の意思を周囲に表明していく必要がある、
そのような背景から、管理職を対象に3分間スピーチを行うことになりました。

 

私は、参加される皆さん一人ひとりのスピーチを聴いて、どこをどう修正したより良くなるのかを
コメントする役割をさせてもらっており、初めは、起承転結などスピーチの組み立て方や人前での話し方など、基本的な型についてフィードバックしていきます。

 

そして、そういった基礎がだんだんと身についていくと、
次第にその人自身の表現力の問題にテーマが移っていきます。

 

これは簡単ではありません。

 

なぜなら、表現の仕方というのは、その人の生き様がそのまま投影され、
長い歴史の中で習慣として染みついてしまっているものであるからです。

 

たった3分という短い時間であっても、その3分間はこれまでの人生の延長線上にある3分です。

 

立ち振る舞い、選ぶテーマ、表情、言葉のアクセント等々から、その人がこれまでのどのような生き方をしてきたのか、その人の持つ性格の癖が、そのまま3分間で顕れます。

 

ここから先は単純に方法論やテクニックで上手く見せようとしても限界があります。

 

本当の意味で表現力は、その人自身が今ぶつかっている自分の壁と向き合い、挑み、
その壁を突破していく中でしか得られないものではないかと思います。

 

■ 人の心に響く表現力とは

 

表現力のあるスピーチは、聴き手の心にスッと響いてきます。

 

反対に、そうでないスピーチは、仮に素晴らしい内容であったとしも、
どこか作りもののように聞こえてしまい、心に響いてきません。

 

その違いはどこから生まれるのでしょうか。

 

歌に例えると分かりやすいかもしれません。

 

プロから言わせると、歌の上手さと表現力は全く別物であるようです。

 

いくら歌が上手くても、その人の魂が感じられない歌は人々の心に届かない、
反対に、多少下手であっても、その人の魂が感じられる歌は人々を感動させることができる。

 

そして、それが本当のプロフェショナルであると。

 

私も街中の弾き語りでついつい足を止めてしまうときがあります。

 

歌の上手さももちろんあるのですが、それ以上にどこかその人の魂の叫びのようなものが聴こえてくると自然と足が止まり、涙を流してしまうことがあります。

 

では、スピーチに置き換えたとき、聴き手の心に響くスピーチとはどんなスピーチでしょうか。
どんなスピーチに、私たちの心が動かされるのでしょうか。

 

それは、偽りのないその人の中にある真実が語られているスピーチではないかと思います。

 

人が真実を語ったとき、聴き手の中にある真実が呼び起こされる。

 

それが、心に響く、ということではないかと思います。

 

先日、女子テニスの大坂なおみさんがBNPパリバ・オープンで優勝した際のスピーチが
最悪のスピーチであり、最高のスピーチだったと話題になっています。

 

ご興味がある方はぜひご覧ください。

 

スピーチ翻訳全文
https://kaikore.blogspot.jp/2018/03/naomi-osaka-stumbles-worst-speech-ever.html

 

日本語字幕あり動画
https://www.youtube.com/watch?v=hWNPq2SGSvc

 

お世辞にも上手とは言えないと思いますが、彼女のスピーチはたくさんの人の胸を打っています。

 

真実と聞くと、どこか高尚なものを想像される方もいらっしゃるかもしれませんが、
決してそういったものではなく、その瞬間私たちの心の中にあることです。

 

つまり、頭で考えていることを口にするのでなく、子供のように感じたことをそのまま口にする
頭で知っていることを喋るのではなく、今思うことを喋る、ということなのですが、
大人はそれがとても苦手です。

 

では、なぜ感じていることよりも考えていることが優先されてしまうのか、
それは、人が感じていることは、本来とても繊細で弱弱しい、女性的ものであると思うからです。

 

自分の感じていることをたくさんの聴衆の前にさらすという行為は、
裸で街中を歩くようなものであり、そこには恥ずかしさがあり、
それ以上に多くの批判の矢を無防備で受けるということを意味しています。

 

それぐらい、人の気持ちというのは、ナイーブで傷つきやすいものだと思うのです。

 

自分が本当に感じていることがある。でも、それを人前にさらしたら批判されるかもしれない、
評価が下がるかもしれない、自分の負けを認めたような気がする。

 

そういった外側の軸に捉われて、自分の内側に本当にあるものを閉ざし、
相手にとって耳障りのよい表現に歪めてしまう、自分を守るような表現に歪めてしまう

 

そこに、人はどこか人工的な臭いを嗅ぎとってしまい、生々しさが感じられない。

 

だから、伝わらないし、響かない、ということではないかと思います。

 

特に、スピーチという場は、たくさんの人に見られている場であるため、
よく見られようとするエゴがどうしても働きやすく、
本来自分の中にある純粋なものが、濁ったかたちで表出されやすいように思います。

 

そして、そこには、その人自身が全人格的な存在へと歩んでいく道のりの過程で、
乗り越えるべき壁が立ち現れているように思います。

 

■ むき出しの自分を表現する

 

管理職という存在は、周囲の声に耳を傾け、他者の期待に応えることで
初めて自分の存在が許されるという常識が、今尚根強くあるように思います。

 

そして、その副作用は、自分の声がないがしろにされてしまう、という現実です。

 

しかし、本来リーダーシップとは、外側が先にあるのではなく、今ない世界の実現に向かって、
自分の内側にあるもの外側に表現してく営みに他ならないのではないかと思います。

 

故岡本太郎氏は、「芸術は爆発だ」というあまりにも有名な言葉を残していますが、
著書「自分の中に毒を持て」の中で、その意味について以下のように触れています。

 

「ぼくが芸術というのは、生きることそのものである。
人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し、爆発する。
その生き方こそが芸術なのだと強調したい」

 

「自分を認めさせようとか、この社会で自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、
いろんな状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、
無意味な袋小路に入ってしまう。
今この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ」

 

むき出しの自分を表現したら、傷つきやすくなります。それでも、そこから目を背けることなく、
傷つきながらも、勇気を持ってまた無防備な自分をさらけ出していく。

 

たとえ自分を批判する人が現れたとしても、そこと戦い、相手をねじ伏せることに労力を使うのではなく、ただ自分が成すべきことに集中し、一つひとつ果たしていく。

 

時に周りの声に振り回され、またやってしまったと自分を責めながらも、
そんな自分も受け止めながら、また自分の感覚に耳を傾け、それを表現していく。

 

三歩進んで二歩下がる、そんな繰り返しの中、だんだんと自分の中にあるものを脚色せずに、
そのままストレートに「ズドン」と出せるようになる。

 

それが、表現力が磨かれる、ということではないかと思います。

 

表現力、それは、何もないところから必死に積み上げてきた自分から、
今度は、余計な部分を削ぎ落し、自分自身をよりシンプルに研ぎ澄ませていく中で、
厚みを増していくものなのかもしれません。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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