Vol9.「なぜ優秀な人ほど任せられないのか」 担当:渥美 (2018年10月18日)

■ 「助けてほしい」と言えますか?

 

突然ですが、あなたは自分が困っているとき、苦しいとき、行き詰っているとき、

 

「助けてほしい」

 

「手を貸してほしい」

 

「手伝ってほしい」

 

と他者にSOSを出すことはできますか?

 

なぜ、このような質問をしたかと言うと、管理者・リーダーとは、他者に委ねられるかどうかが、マネジメントの成果に大きく直結してくると思うからです。

 

しかし、実際には「他者に委ねる」ということが、プレイヤーからプレイングマネジャーになる、プレイングマネジャーから真のマネジャーへと成長していく上で、大きな壁となっているように思います。

 

マネジメントとは「他者を通じて物事を成し遂げる」ことを意味しますが、現実問題として、多くのマネジャーがぶつかっている壁の一つに、「委ねられない」というテーマがあります。

 

「委ねる」とは、任せる、頼る、協力を仰ぐ、助けを請う、甘える、預ける、等々、様々な表現ができます。

 

つまり「委ねられない」とは、任せられない、頼れない、協力を求められない、助けを求められない、甘えられない、預けられない、ことを指します。

 

そして、それは個の能力が高い方ほどそのような傾向があるように思います。

 

しかし、マネジャーの責任とは、本来個の能力でどうにかなる範囲を超えています。

 

それでも、個の能力が高い方は、自分の力でその責任を果たそうと頑張ります。そして、人によっては何とかなってしまう方もいます。

 

しかし、そこに副作用が3つあります。

 

1つ目は、部下の依存心が高まります。つまり、最終的には上司がやってくれるだろう、問題が発生しても上司が動いてくれるだろう、と部下の当事者意識が下がっていきます。

 

「強すぎるリーダーシップは部下の依存心を生む」と言われますが、まさに、能力が高い上司に部下が依存してしまい、本来メンバーが持っている力が発揮されにくい状態に陥ります。

 

そして、部下が思うように成長しない、伸びないことに苛立ちながらも、その要因の一端を自分が担っていることには、多くの場合は無自覚です。

 

そして、最終的には、常に自分が先頭に立って指示を出し、目を光らせていないと安心できないチームが出来上がってしまいます。

 

2つ目は、身心共に余裕がなくなります。

 

自分の力を最大限に駆使して、部署やチームの責任を果たすことは可能だと思います。しかし、気がつけば、休みとれない、いつも遅くまで残っている、プライベートの時間もない、心と身体が休まる時間がどんどんなくなっていきます。

 

つまり、身心共にヘロヘロ状態になり、最終的には身体が悲鳴を上げて、強制的にリングから降ろされる、といった事態を招きかねません。

 

3年ぐらい何とか走れても、段々と疲労が蓄積し、走るスピードもどんどん遅くなります。それにも関わらず、責任感の強い方ほど、止まる、休むという選択肢はないため、ないエネルギーを振り絞って、カラカラになるまで走り続けます。

 

そして、次第に「自分は何のために仕事をしているのか?」と、目的意識が見失われ、次第に仕事に面白さや喜びが感じられなくなっていきます。

 

3つ目は、成果が予想の範囲を超えません。

 

他者に委ねることなく自分が頑張る、という状態は、まだ心のどこかで「自分が頑張れば、責任が果たせる」と思っている自分が存在します。

 

逆の見方をすれば、責任範囲を超えた成果は生まれない、ということを意味します。

 

つまり、自分が走って生まれる成果には限界があり、その成果とは常に自分の予測の範囲内であるということです。

 

もちろん責任を果たすという意味では、マネジャーにとって大切なことかもしれません。

 

しかし、「責任」とは「最低」のことであり、その「最低」を超えて自己の目的を果たしていくことのそのものに、マネジャー本来の喜びや楽しさがあるのではないかと思います。

 

■ なぜ「任せられない」のか?

 

では、なぜ多くのマネジャーは「任せられない」のでしょうか。

 

それは一言で言えば、

 

「不安」だからではないでしょうか。

 

マネジャーには「任せる」ことで起こる不安が大きく2つあります。

 

一つは、「任せたら失敗する不安」です。

 

これは分かりやすいかもしれません。

 

自分よりも経験も能力もない部下に任せたら、当然失敗するリスクが大きくなります。失敗までいかなくとも、スピードが遅い、質が下がる。

 

これでは、部署・チームの責任を果たすことはできない。だから、自分が口を出す、手を出す。当然そちらの方が短期的には結果が出ます。

 

そして、そこには、もし責任が果たせなかったら、自分の評価が下がる、という不安が見え隠れします。ある意味、その不安から逃れるために、本能的に自分が先頭に立ってしまうのかもしれません。

 

もう一つは、「任せて上手くいってしまう不安」です

 

つまり、任せて上手くいってしまったら、部下が自分を脅かす存在になる、自分の存在価値がなくなってしまう、だから自分の居場所を確保するために大切なところは任せない、という理由です。

 

本来であれば、自分を超えていく部下を育てることが上司の役目なのかもしれません。

 

自分を超えてほしい、そう口では言いながらも、本能的には、子が親である自分を超えていくことを許さないという心理が働きます。

 

自分を超えていくとは、コントロールできる存在から、コントロールできない存在になっていくことを意味しています。

 

部下が自分の言うことを聞いてくれる、部下が自分を慕ってくれる、部下が自分を頼ってくれる。

 

自分が常に上に立っていることには、自分自身のプライドを保ち、何より自分の傍に人がいれくれる、という安心感を生むことになります。

 

いずれもしても、マネジャーには、「結果」と「人」をコントロールしておきたい、という欲求があります。

 

そして、コントロールとしておきたい、という欲求の裏側には、自分は他者からどう見られているのか、自分は他者から必要とされているのか、自分を慕ってくれる人はどれだけいるのか、という不安が常にあり、その不安を避けるために、「任せない」「委ねない」という選択をしているのかもしれません。

 

だからこそ、マネジャーは孤独を受け入れる必要があります。

 

■ 「任せられる」マネジャーになるために

 

では、どうすれば「任せられる」マネジャーになれるでしょうか。

 

マネジメントとは、前述したとおり、「他者を通じて物事を成し遂げる」ことを意味しています。

 

つまり、マネジャーとは、「自分ではなく他者の力を使う人である」ということを理解する必要があります。

 

極論を言えば、自分がいなくなっても、決して動じない筋肉質のチームを創り上げることが、マネジメントのゴールではないでしょうか。

 

「上司不在時の時こそ、職場の実力が表れる」と言われますが、上司の指示命令がなくても、スタッフ自身が何をすべきかを理解しており、自分たちで対応する実力を持っている。

 

そういった状態に仕上げていくためには、少しずつ自分の仕事を部下に委ね、上司の依存度を減らしていく必要があります。

 

箱根駅伝4連覇の立役者である青山学院大学の原監督は、あるインタビューでこのように応えています。

 

「私の理想は、監督が指示を出さなくても部員それぞれがやるべきことを考えて、実行できるチームです。つまり、指示待ち集団ではなく、考える集団。言葉にするのは簡単ですが、考える集団をつくるには、土壌と同様に時間が必要です。

 

私が最初に取り組んだのは「相談できる人」に育てること。部員からの提案を嫌がる監督もいますが、それだと、監督の指示を仰ぐ部員やスタッフばかりになってしまいます。

 

考える習慣がない部員に「さあ、考えなさい」と言っても無理。だから、監督に就任した頃は、私が話すことが多かったと思います。ただ、考えるための材料は与えても、できるだけ答えは出しませんでした。そうすると、なんとか自分で答えを導き出すしかありませんから。

 

私は、彼らが答えを出すまでとことん待ちました。チームが考える集団になれるかどうかは監督の忍耐強さにかかっています。

 

成熟したチームになると、監督が全面に出る必要はなくなります。成熟するまでは教える立場ですが、成熟したチームになると、変化を感じとるのが主な仕事になります。

 

チームから離れて見ていないと監督の仕事はできません。エンジン全開でこちらの部員、あちらの部員と精力的に指示を出している監督もいますが、それはチームがまだ成熟していない証拠です。あるいは、こと細かに指示を出さないと気が済まない監督だと思います。

 

『管理者の仕事は管理じゃない』。チームが強くなるほど、監督の「見る」仕事は増える。それが成長したチームの理想形です。その状態を維持できるチームこそが常勝軍団だと私は考えています。」

 

実際に、原監督が今の状態までチームを創り上げるのに8年かかったそうです。

 

最初は、先頭に立って引っ張っていく牽引型のリーダーシップを発揮していましたが、少しずつ選手の自律性を育み、今では完全に見守り型のリーダーシップに変化しています。

 

そして、そこに至るまでには、チームとして何を成し遂げたいか、という明確な「ゴール設定」があったのだと思います。

 

そのような意味でも、マネジャーは「目的を明確にすること」が重要です。

 

繰り返しになりますが、マネジメントとは「他者を通じて物事を成し遂げる」ことです。

 

つまり、マネジャーには「何を成し遂げるのか?」という「何」を明確する必要があります。

 

成し遂げたい何かがあるから、「任せる」という行為が必然的に生まれます。

 

反対に、自分は在任中に何を成すのか、というミッションが曖昧であればあるほど、その場をこなすことが目的となり、部下に任せる必要もなくなります。力のある自分がいつも先頭に立つことが、最も生産性が高いからです。

 

だからこそ、「任せられる」マネジャーになるためには「ミッション」が必要です。

 

それも、自分一人では到底成し得ないミッションです。

 

自分一人の力ではどうにもならない、でも、皆の力を結集したら可能かもしれない、そういった自己の目的が明確になればなるほど、結果として人に委ねざるを得なくなります。

 

逆を言えば、自分一人でなんとかなってしまう状態というのは、目標が小さすぎる、ということなのかもしれません。

 

もっと言えば、

 

自分の力を小さく見積もりすぎなのかもしれません。

 

他者の力も小さく見積もりすぎなのかもしれません。

 

自分の可能性が最大限に開かれた時、他者の可能性が最大限に開かれた時、その先に見えるあなたのビジョンはどのような世界なのでしょうか?

 

今ない世界を夢見て、その世界を周囲の人々と共有していくいことが、マネジャーに求められるリーダーシップではないかと思います。

 

「任せる」「委ねる」「助けを求める」

 

言葉で言えば簡単ですが、実際にはとても難しいことかもしれません。

 

任せたいけど任せられない、委ねたいけど委ねられない、助けてほしいけど助けてほしくない、誰しもそういった葛藤があると思います。

 

そして、その葛藤は、もしかしたら自分に対する信頼、他者に対する信頼、世界に対する信頼のバロメーターを表しているのかもしれません。

 

だからこそ、もう少し自分を信頼してみる、もう少し他者を信頼してみる、もう少し世界を信頼してみる。

 

そう思えたら、自然と委ねられる自分になっているのかもしれませんね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

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